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サラダ好きのライオン
村上春樹「サラダ好きのライオン」。

こういう本があるから、私は、本というものが心底好きだと思える。
本当におもしろい。
読み終わってしまって悲しい。
もしこのエッセイが限りなくあれば、私はごはんとトイレと睡眠以外他に何もせず1ヶ月くらいずっとこれを読むことだけしていられるのではとすら思う。

世の中にはいろいろな楽しいことや悲しいことや問題や過去や理論やあれやこれやがあるけど、
それに対する人のアプローチってまずは「知っている」か「知らない」かで分かれると思う。
というか「知って」初めてスタートラインに立てるというか。
好きとか嫌いとかどっち派とかこっち派とかいえるのは知ってからのこと。

私にとって村上春樹は、知らないことを教えてくれる人。
もちろんそれは現実的な意味の限りではない。

だから私は、村上春樹のエッセイを読んでいる人は、少なくとも「知っている」のかなと思うから、それだけで近いスタートラインに立てているような気がして安心する。
というのはちょっと安直すぎる考えかな。いや、でも。

大好きな箇所はたくさんあったけど、一番心に残っているのは、墓石の話。
墓石、及びお墓には私も前々から妙に惹かれるところがあるので。
(うん、たぶん私は墓場が好きっぽい。)

ドロシー・パーカーという辛辣な物言いで名を馳せたアメリカの女流作家が、こんなことを言った。
「私が死んだときには、墓石にこう刻んでほしいの。『この字が読めるようなら、あなたは私に近づきすぎている』って。」


結局刻まれてないらしいけど、いいなあと思う。
この後にも他の人の興味深い墓石の内容が書かれていました。
それもおもしろかった。

ああ、それともう一つ。
木山捷平の「秋」という詩についての話。

新しい下駄を買つたからと
ひよつこり友達が訪ねて来た。
私は丁度ひげを剃り終へたところであつた。
二人は郊外へ
秋をけりけり歩いていつた。


というとてもかわいい詩に対して、村上春樹は

この詩を初めて読んだときに、「これはまだ若い人のつくった詩だな」と僕は感じた。
(中略)
新しい下駄を買ったからという理由でふらっと友達が訪ねてくるような状況は、そしてそれを普通のこととして捉える感覚は、まだ二十代の人のものだからだ。


と書いていて、ほんとにそうだなあと思うと同時になんとも切ない気持ちになった。

村上春樹も、
”かつてはそういう友達がいたが、今は残念ながらいない。でも「いや、新しいリーボックを買ってさあ」とか、急にアポなしで来られても困るかもしれない、仕事もあるし、家庭の事情もあるし。”
みたいなことを書いてあって、ふふふとおもしろく読んだ。

私はぎりぎり二十代、いやでも最近の言い方でいえばアラサーだから三十代のくくり?なのかもだけど、新しい靴を買った友達が突然遊びにきてほしいような、はたまた遊びにいきたいような気持ちで日々生きています。

仕事もあるし、家庭の事情もあるんだけど、それでも。
by shizuka-irutokoro | 2012-08-21 23:58 | | Trackback | Comments(0)


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